第4回「時代の波に乗って仕事場確保。 お客さんのない昼間に練習三昧。」

インストラクターは初日でクビになったものの、時代が味方をしてくれたというか、ついていたなと思うのは、その頃、昭和30年代後半から日本でゴルフブームが始まったことです。高度経済成長期で何でも右肩上がりの時代。ゴルフ人口も、ゴルフ場も増えていきました。
知人の紹介で、その中のひとつ、杉並区浜田山のゴルフ練習場に入れてもらうことができました。あの辺りの地主さんが造ったものなのですが、お客さんは土・日しか来ない。だから平日の昼間は練習し放題という幸運に恵まれました。
それにこの練習場にはアプローチ・バンカーとパッティング・グリーンもあった。あの日のバンカーの屈辱を払拭するためにも、練習に励みました。ひとりで思い切りクラブを振れるのですから、この出会いにも感謝しなければなりません。
お客さんは、シングルプレイヤーばかりです。アマチュアとしては上のクラス。私など、70台のスコアだからインストラクターになっちゃったというだけですから、お客さんに教えられることも多々ありましたね。
当時、小池兄弟のお兄さんが、都民ゴルフ場でも練習していました。それで私も朝5時に起きて、6時くらいからハーフを回ります。これを終えてからバスと電車を乗り継いで、2時間半かけて浜田山へ向かいます。到着は11時前後。ご飯を食べて、午後9時頃までが勤務です。    といっても、夕方までは誰も来ません。勤務しながら練習できたわけですね。
そもそも私がゴルフを始めたのは報酬が目当てでした。インストラクターの給料4万円は、はじめの頃こそ魅力でしたが、普通のサラリーマンの給料や物価が毎年上がる時代なのに、全然上がらない。これじゃあ、早くトーナメントプロになるしかありません。次回でやっとプロになりますが、その前に浜田山のゴルフ練習場もクビになってしまいました。この理由は秘密です。
(次号に続く)