第6回「関東オープン4位 アジアサーキットで決意を新たに。」

トーナメントプロ目指しての最初の試合は「関東オープン」でしたね。これはジャンボ尾崎とも初めて一緒になった試合。確かジャンボが3位、私は4位でした。ここで5位までに入ると「アジアサーキット」に出場できる。フィリピン、シンガポール、マレーシア、インド、タイ、香港、台湾、韓国、日本の9か国を回るもので、それだけでも過酷なツアーですが、旅費など経費だけで百万円くらいはかかるんです。
プロとしてまあまあのスタートを切ったわけですし、今後の自分のゴルフ人生を占う機会としても参加したいと思っていたら、当時の勤務先だった上板橋のゴルフ練習場のお客さん達が旅費をカンパしてくれたんですよ。節目節目でいろいろな人に助けられっぱなし。本当にありがたいことです。
日曜日の夕方ごとに飛行機に乗って移動するというツアーでした。どの国でも大使館から招かれてお鮨やおにぎり、その他和食をごちそうしていただき、ちょっとしたVIP気分でしたね。このツアーでは成績がどうのというよりも、精神的に鍛えられたように思います。日本にいるとプロ同士でもアドバイスし合ったりということはありますが、外国だと単に敵になるんです。敵同士「ごくろうさん」とか言ってね。そうなると思い切り自分のゴルフができる。よし、日本のトーナメントをがんばろう、という決意を外国で強くした感があります。
その後はまあ、鳴かず飛ばずという時期がしばらく続きました。転機が訪れたのは「JALオープン」。JALがスポンサーで府中カントリーが会場。確か1969年で、オーストラリアのケルネーグルも参加していたのを覚えています。僕はここで7位に入ったんです。
この時のプレーが、スリーボンド社の社長の目に止まりましてね。8百万円の契約でどうかというオファーがあったんですよ。日本シリーズで優勝してすごい勢いだった河野高明が、1千万円プレイヤーだと騒がれていた時代の8百万円ですよ。いやもうびっくりしました。(次号に続く)